Monthly Column マンスリーコラム
自身のキャリアを振り返って〜キャリアの転機を超えて
みなさん、こんにちは。いわてキャリアコンサルタント研究会の菊池です。
コラムを担当するにあたり、あらためて自分のキャリアについて振返り、そぞろ書きをしてみました。
私が働き始めたころは、キャリアいう考えがまだ浸透していない時代でした。ただ、その時その時で自分にとって何が1番大切なのかを考えて選択してきました。その連続だったと思います。
第一の転機:職種変更
私のキャリアのスタートはSE(システムエンジニア)でした。その当時、勤務していた会社の東北支社で初めて結婚・出産をして働くSE第一号でした。子供が小学生になり、家族の協力もありSEとして充実した日々をすごしていました。
あるとき、システムの立ち上げで1泊2日の予定で岩手県沿岸のお客様のところに出張にいきましたが、システムトラブルが発生し、泊まり込みで解決しなければならない状況になりました。結果3泊4日の出張になってしまいました。家族に負担をかけ、子供達に寂しい思いをさせながら仕事をしていたことに後ろめたさを感じました。
そんなとき、岩手支店勤務の営業事務担当者の募集が社内でありました。SEとして、担当するお客様から信頼され、やりがいを感じていたのですが、母として子供と向き合う時間は限られているので、子供との時間を大切にしようとも思いました。その時はSEとしてのキャリアを捨てることにためらいはありましたが、子供のためには出張が少ない職種に替わるチャンスと捉え応募し、ありがたいことに、希望どおり職種変更ができました。
第二の転機:勤務地変更に伴う盛岡から仙台への新幹線通勤
バブル崩壊後、会社として効率を重視するため、拠点集約を全国的に進めており、私が勤務する岩手支店もその対象になりました。お客様のサポートや入札等の関係で支社存続させる必要があったので、支店規模を縮小し、親会社の岩手支店内に机1つ分のスペースを借り支店とする体制になりました。それにより岩手支店に勤務する社員は全員が東北支社(仙台)への転勤になりました。
私に義務教育中の子供がいたことと、親会社との関係性を維持する必要性もあり、一週間に一度親会社で勤務することを条件に新幹線通勤を認めてもらいました。今のようにリモート勤務できる環境がなかった時代でした。
退職といった選択肢もあったのですが、金銭的事情や転職するには厳しい年齢であることと岩手の求人状況を考え、新幹線通勤を選択しました。自宅から仙台の会社まで通勤時間は2時間以内でしたが、肉体的なダメージはかなり大きく、後に大病を患ったりしました。
第三の転機:キャリアチャレンジ研修の受講
私がキャリアコンサルタントの存在を知ったのは、2005年11月に業務命令で「社内活性化と自立型人材を目指す」という目的で実施された「キャリアチャレンジ研修」を受講したときでした。その研修は1回の受講者24名とキャリアコンサルタント4名で4泊5日の合宿研修でした。
研修受講当時、私は社内異動で盛岡から仙台までの新幹線通勤をすることになったばかりでした。併せてSE経験の実績をかわれ、営業事務から図書館システム担当営業に担当替になったばかりでもありました。
当時はキャリアに関する関心より、システム関連の勉強をしてITコーディネーターの資格を取得し、IT関連のコンサル営業が出来ればいいな、といった漠然とした考えを持っていました。会社命令でしぶしぶ受講した「キャリアチャレンジ研修」が、将来のキャリアコンサルタント資格につながるとは思ってもみませんでした。
研修はじめのオリエンテーションで、研修目的は「リストラ」ではなく、自立型の人材を育成することであることが強調されました。当時の会社は社員のモチベーション低下やリスク回避志向が見られるなど、いわゆる「大企業病」といわれる状態に陥っていたための打開策だったようです。
5日間の研修内容は、V-CAT・交流分析等を使い自己理解を深めるとともに、キャリア理論・キャリアアンカーについて等の知識講義を受け、自分自身のキャリア資産の棚卸しを行います。それを元にキャリアコンサルタントと相談しながら、6ヶ月間の行動計画策定や中・長期の目標を策定と行動計画を作成し、研修の最終日に全員が今後の決意表明と行動計画を発表するといった内容でした。
私はこれまで自分自身を否定的にとらえがちだったのですが、この研修の面談ではじめて、今までやってきたことをすべて肯定し、将来の目標をたてることに寄り添ってくれたキャリアコンサルタントに出会いました。そのことはとても大きかったと思います。今ではキャリア教育に時間と費用をかける決断をした会社に感謝しています。
業務命令で「キャリアチャレンジ研修」を受講したのではありましたが、会社の後輩がうつ病を発症した際、先輩として何か出来ることはあったのではないか?と考え、もう少し詳しくキャリアコンサルタントのことを知りたいと思いました。そのこともあって、翌年2006年4月からの雇用能力開発機構主催のキャリアコンサルタント養成講座を受講しました。
そして資格取得後も本業としてIT業界で働きながら、同時に現在までキャリアに関わり続けてきました。これも本業で得た経験と業務知識が、キャリアコンサルタントとしての幅をひろげることに役にたっているからではないかと思います。
第四の転機:早期退職
新幹線通勤を10年も続けていると体力的に厳しいと感じるようになってきました。子供達も大学を卒業したタイミングで、会社が「早期退職制度」を作りました。社員のセカンドキャリアを促し、人員をスリム化するのが目的でした。
それまで、仕事と人的ネットワークは仙台が拠点、生活ベースは岩手・盛岡といった状況でした。しかし私を支えてくれた母が高齢になりいずれ介護が必要になること、私自身に体力や気力がまだあるうちに、仕事と生活の拠点を盛岡にうつすことを考え、定年まで4年を残していましたが「早期退職制度」を利用し退職することを選択しました。
当時の早期退職制度は、起業支援または再就職支援のどちらかを選択することが必須でした。私は再就職支援を選択し、紹介された転職エージェントに再就職支援をしてもらいました。
就職活動の経験が少なかったので、キャリアコンサルタントのアドバイスは参考になりました。結果として予定より早く再就職ができたのですが、高齢期の再就職が難しい現実を知り得たことは、よい経験だったと思います。
悩みながら自分の心の声を聞きながら
振り返ってみると、私は転機の度、悩みながらも、自分の心の声を聞きながら進んでいました。
これからの人生100年時代にむけ、この機会に働き方をもう一度みなおし、自分自身が人生の主役であることを念頭に置いて行きつつ、今までの経験をいかしながら、これからもキャリア支援に関わっていきたいと思っています。


菊池規子
<保有資格>
国家資格キャリアコンサルタント
産業カウンセラー
第二種種衛生管理者
メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅱ種(ラインケアコース)
アンガーマネジメントコンサルタント・ファシリテーター・他多数