Monthly Column マンスリーコラム

2025年6月号

キャリアの振り返り〜“まわり道”も”挫折“も支援の力になる

キャリアの始まり

私が初めて「働く」ことに触れたのは、高校3年生の冬でした。

高校卒業後の進路が決定して、卒業式までの長い休み期間に入ろうという数日前くらいだったと思います。母から「休みの間にアルバイトしてみたら」と言われました。確かに特にやることもないし、お金がもらえるしやってみようと思いました。

そこで思い出したのが、先輩がやっていたアルバイトの事でした。その先輩は、興味があることや今取り組んでいる事、もちろんアルバイトの事までも詳細まで話してくれる方でした。先輩が出来るのであれば自分にも出来そうだと考えて、アルバイト先を選びました。

そのアルバイト先での仕事内容は、ファストフード店での製造の仕事でした。マニュアルがありましたので、製造手順を覚えるのにはさほど苦労をしなかったのを覚えています。また、先輩スタッフが出来るようになるまでトレーニングをしてくれましたので、マニュアルに載っていない仕事も難なくできるようになりました。

このアルバイト先は、専門学校を卒業した後も半年間ほど働き、3年以上お世話になりました。最終的には、接客や開店・閉店の業務や、食品等の発注なども任されることとなり、社員の補佐としてマネジャーをやらせていただきました。

初めてのアルバイト先が、私の自信につながる大きな経験になったことを覚えています。

進んだ先で味わった挫折

その後、アルバイト経験を活かそうとファミリーレストランのホールスタッフに正社員で採用されました。

ところがこの職場にはマニュアルがなく、先輩社員から教わりながら業務を覚えていく方式でした。いわゆるOJT(オン・ザ・ジョブトレーニング)です。半年以上たったころようやく社員がやるべき仕事を一通り覚えたと思った矢先に、先輩社員が退職することになり、私は突然ホールスタッフのリーダーを任されることになりました。

若年者の私は、年齢やキャリアが上のホールスタッフや厨房スタッフと連携を取ることに難しさを感じていました。加えて、一人前にさえなっていない自分の至らなさも痛感していました。今まで出来ていた仕事も精いっぱいだったこともあり、だんだんとやっていく自信が無くなり、わずか2年足らずで退職することになりました。

初めての正社員の仕事で、私は挫折を味わったのでした。

営業の仕事で得た「出会い」と「現場感」

次に選んだ仕事は営業の仕事でした。

ビジネスホンや複合機などを扱う会社でアポインターとして飛び込み営業を担当しました。アポイントなく事業所を訪問するため、ひどい断られ方をすることがある一方で、逆に面白がって話を聞いてくれることもありました。また、様々な会社や事業所のトップと出会うことができ、これも営業だからこそ知れた人や世界でした。大変貴重な体験をさせてもらったと思います。

次に選んだ仕事も営業の仕事でしたが、新規事業の立ち上げから携わることになり、とても貴重な経験をさせていただいたと思っています。代表者とともに交渉の場に立会い、営業以外のスキルも身につけることが出来ました。何より、何の後ろ盾もなく、会社としての歴史や実績が無い状態からのスタートがどのようなものなのかを身をもって体験することができました。営業から納品、代金回収に至る一連の流れを、自社スタッフや外注先と連携しながら担いました。

この経験で、業務全体を見渡す視点と、臨機応変な対応力が身についたように思います。

支援につながる“これまで”の経験〜支える側として

現在私は、職業訓練校で講師として働いています。求職者の皆さんに、WordやExcel、簿記などのスキルを教えるとともに、就職支援も担当しています。

簿記の授業では、自身の営業経験や、事業立ち上げ時に得た知識がいかせているように感じます。さまざまな業種・職種の方々と接してきた経験が、就職支援をする際の助言に役立っていると感じます。

今回こうして自身のキャリアを振り返ってみると、たくさんの方のお世話になってきたことを改めて感じました。また、かつて私を指導したり助言をくれたりした方たちと同じような年齢に達しようとしていることにも、気がつきました。

私は、これからも他者のキャリアを後押しする仕事を通じて、これまでいただいてきた恩を少しずつでもお返ししていきたいと心から思っています。

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吉田秀明

飲食店ホールスタッフ、ホームページ制作・各種販促品企画制作・OA機器販売・設置等の営業を経て、現在は職業訓練校で、Word・Excel・簿記の講師や、就職支援に携わっています。